智瀬千恵のストーリー⑤

プロフィール

借金2000万円の超ド貧乏生活

 

娘が3歳になった頃

スポーツインストラクターとエステティシャンの

二足のワラジだった私は起業を決意しました。

 

それは、路面店を大改装し、

大勢のインストラクターと契約を交わし、

2,000万円投資した起業でした。

今思えば、

なんとも恐ろしい決断。

 

しかも、

風水的にみると大きな行動は避けるべき時期だったのです。

 

経営のことなんて何も知らず、

ただただ勢いだけの起業。

 

もちろん

1年も持たずに資金はショートし、店は撤退。

 

せめてもの救いは

店を引き継いでくれた人がいたということです。

 

10年以上たった今でも

その店は存在してくれています。

 

借金が原因で3回も離婚してきた私が、

最後に大借金を背負うことになったわけです。

 

そして踏んだり蹴ったりの同時期に父親が他界。

 

バカは死ななきゃ治らないと

愚痴ばっかり言っていた父親・・・。

 

私はそんな父親が

正直あまり好きではありませんでした。

 

だから、父親が他界しても

きっと悲しくもなんともないだろうと思っていたんです。

 

ところが、

私は立ち直れないぐらい落ち込んだのでした。

自分でも信じられないくらいに・・・。

 

私は

2000万円もの借金を抱え、

仕事はなくなり、

アパートの家賃も払えなくなるところまでいきました。

 

毎月、毎月

いろいろな催促状やら督促状がポストに届いていました。

 

私はアパートを引き払い、

2階に母親が暮らす実家の1階を間借りすることにしました。

 

「すべて修行」と

腹をくくって始まったド貧乏生活。

 

小さいときに姉に付きっ切りだった母親には

心配も迷惑もかけたくないという気持ちばかりでした。

 

食事はたいていお醤油ごはん。

 

ちょっと余裕があるときは味海苔がつく。

 

保育園の先生に

「今日は何を食べてきたの?」と聞かれ、

「お醤油!!!」と

元気よく答えるわが子供たち。

 

驚く先生の顔も

私は一生忘れないと思います(笑)。

 

思い返すと当時は風水なんてやる余裕すらなかったなぁ~。

 

借金もあと少しという頃、

私は、ふと今までの人生を振り返りました。

 

「疲れたな・・・東京に疲れた・・・」

 

私は東京から離れることにしたのです。

 

それは、

息子が小学5年、娘は小学校に入学したばかりの1年生の夏でした。

 

風水で見ても時期は問題なかった。

 

無事に就職も決まり、

背中を押されるかのように私たち親子3人は沖縄に移住しました。

 

ちなみに、なぜ沖縄だったかというと、

せっかく離れるなら東京から遠いところにしようと思ったから。

 

ハワイも考えたけど英語が話せないし、

北海道は寒いから消去法で沖縄に決めたのです。

 

それから間もなくして母親が他界。

 

遺産問題で兄姉は1年間裁判していたようです。

 

これまで私たちのために

一生懸命働いて、一生懸命育ててきてくれた両親。

 

たぶん

父親と母親の一番辛く、長い年月を見てきたのは

 

兄弟の中で私だけだったのかもしれません。

 

これを機に私たち兄弟は離縁したのでした。

 

 

次回に続く

コメント

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